名店の味を

 

 龍ちゃんの開業当初、今と大きく違うもののひとつはメニューのラインナップだ。

 

 すなわち、ラーメン、チャーシューメン、ねぎラーメン、ねぎチャーシューメンに、餃子とライス、ビールという、現在の種類の多さからは想像しにくいほどにシンプルな少数精鋭だった。

  

 そこに少しずつメニューが追加されていくことになるのだが、そこにはさまざまな背景がある。

 人気メニューのひとつ「油そば」もそんな一品だ。

 油そば――当時まだ馴染みのなかった麺類の存在を店主・河村浩介が友人から知らされたのは、開業から1年ほどが経った頃だった。

「油そばのうまい店があるんだよ、食べにいこうぜ」

 と友人が持ちかけてきたのだった。

 

 あぶら…そう、その名称ゆえ、食べたことのない人からは

「ぎとぎとなハイカロリーなメニューに違いない!」

との誤解を受け、敬遠されることも少なくない。一方で「汁なしラーメン」の名でも親しまれており、こちらの名からはそんな印象は生まれないようにも思える。どんなものかというと、汁=スープのかわりに、丼の底に入った油(種類は店による)を具材や麺と絡ませて食べるもので、スープを全部飲む場合と比較すると、カロリーは4分の3、塩分は半分以下といわれているため、実はラーメンよりヘルシーともいえるのである。

 

 名前からは得体のしれないその食べ物に、浩介は興味を持てないでいた。

「油そば?なんだかよくわからないけど、ラーメンの方がいいだろうよ」

 実はもう一つの理由としては、その「うまい店」が遠方にあるという事情もある。そのため、何度か誘われていたもののなかなか乗り気にはなれなかったという。

 

 だがさすがに断りきれなくなり、あくる日ついに(なかばいやいや)、油そばを食べに行く決心をしたのだった。実際に車で向かってみると案の定、片道3時間ほどかかる小旅行となってしまい、へとへとになりながら目的の店に着いた。その店とは、油そば発祥ともいわれる名店「珍々亭」(武蔵野市・亜細亜大学近く)であった。ようやく口にした油そばは、想像とはちがい、コッテリとした油っぽさの残る食べ物ではなかった。むしろ、メンマ、ナルト、チャーシューといったシンプルな具材にもかかわらず、思いがけない美味しさだった。

 

(うちの油で作ったらどうなるだろう…)

 

 店に戻ってからは早速試作せずにはいられなかった。すると龍ちゃんの油は、油そばにも相性が良く、味を仕上げるのにさほど苦労はなかったという。

 そんな形で完成した龍ちゃんの油そばは、このような生い立ちであったため珍々亭の影響を受け、メンマ、ナルト、チャーシューというシンプルな構成かつコッテリしすぎないものに仕上がっている。

 たまたま亜細亜大学の出身者が訪れたりすると、

「へぇ!油そばあるんですね。珍々亭以来だなぁ」

と敏感に反応してくれるという。

 

 さて一部に熱烈なファンの多い油そばであるが、冒頭に述べたとおり今なお認知度が高くない(特に女性)状況があるのも事実だ。

「食わず嫌いはもったいない、一回食べてみて」

 店主自身の経験から、そんな思いもあって龍ちゃんでは毎年6月上旬に「油そば祭り」と題した企画を続けている。通常よりもリーズナブルに提供することで、油そばとの出会いを演出している(当初は「油祭り」だったが、さらに誤解を招く名称だったため後に変更した)。

 

 こうして振り返れば、食べる前と後で油そばとの向き合い方が大きく変化している。油そば祭りなど、もはや「油そば親善大使」のようでさえある。

 出会いというものは、人を大きく変えるものである。