ボクシングとの出会いは、いつだったかー。

 たしか小学校低学年くらいの頃。当時は今と違い、ボクシングの試合がテレビで放送されることが珍しくなく、具志堅用高や渡辺二郎、レパード玉熊といった選手たちの試合が自然と目に飛び込んできた。

 

 なかでも大橋秀行(ヨネクラジム/現・大橋ジム会長)が世界を制した時(1990年2月)のことが印象深い。小さな体から繰り出される強烈なパンチを武器にWBC世界ミニマム級王者のベルトを奪取したのだ。日本人選手が世界戦に挑戦しては敗れ続けていた時期だっただけに、その姿は一際輝いていた。また敗れはしたものの、のちに伝説的ボクサーとなるリカルド・ロペス(メキシコ)との防衛戦(5回TKO負け)は今なお語り継がれ、その一戦は大橋の名を世界的にも有名にしたのだった。

 実は、それから特にボクシングに熱中していたわけではなかった。前職の時の同僚に横浜高のOBがいたことが縁で、松本好二(ヨネクラジム/東洋太平洋フェザー級王座)や葛西裕一(帝拳ジム/のちに東洋太平洋ジュニアフェザー級王座)といった同校出身ボクサーを知る。なお大橋会長も保土ケ谷中、横浜高のOBである。

 そんな縁で「龍ちゃん」開業後、店として大橋ジムに協賛をするようになっていった。ジム所属の選手たちも店に足を運んでくれるなどしていたが、そのうちで思い出深いのは川嶋勝重(トレーナーは先の松本好二)。試合で使うガウンを制作するなど、応援には力が入った。

 川嶋について大橋会長は当初「光るもののない選手」と評していたが、川嶋はひたむきに、着実に力を伸ばしていった。そして2006年6月、1年ぶり2度目の挑戦で徳山昌守を破り、WBC世界スーパーフライ級王者の座につくまで昇りつめたのだった。

 翌年、3度目の防衛戦で徳山に敗れてからも、川嶋は返り咲きを図ったが、その願いは叶わないまま2008年1月に引退。川嶋の引退を機に、龍ちゃんとジムの関わりもなんとなく、次第に薄らいでいった。

 

 その後、たまたま目にしたフジテレビ系「ミライ☆モンスター」で、ボクシングで未来を期待される金の卵として一人の少年が紹介されていた。どこか見おぼえのあるその少年は、あの松本好二の長男・圭佑くんだった。井土ヶ谷店(当時)などにはしばしば家族で足を運んでくれていたから、懐かしい思いとともに「あの男の子が・・・!」と驚きを隠せなかった。それから心の隅で、静かに応援を続けていたりもした。

 

 それからしばらくして、どうしても生で試合を目にしたいボクサーが登場した。大橋ジム所属の井上尚弥(93年生まれ/座間市出身)だ。井上はかつて大橋がそうであったように、強烈なボディブローと類稀なるセンスで「怪物」の異名と共にその名を世界に轟かせている。2014年4月、当時日本人最速の6戦目で世界王者(WBC世界ライトフライ級)になると、その後も同年12月には階級を上げてオマール・ナルバエス(アルゼンチン)に勝って、WBO世界スーパーフライ級王者に。8戦目で飛び級での2階級制覇は当時世界最速を20年ぶりに塗り替えたのだった。さらに2018年5月にはジェイミー・マクドネル(イギリス)をやぶってWBA世界バンタム級王者にもなり、日本最速の3階級制覇を果たした。

 

 そんな井上の試合を一目見ようと、店主・河村はかつてのツテも頼りながらチケットを購入。2019年11月7日、さいたまスーパーアリーナに足を運んだ。それはWBA世界バンタム級スーパー王者のノニト・ドネア(フィリピン)との一戦だった。この試合で井上は右目眼窩底と鼻を骨折し、出血を抑えながらだったが判定勝ち。WBSS世界バンタム級の初代王者となった。

 会場で歴史的瞬間を目の当たりにした店主は、再び熱を帯び、大橋ジムの後援会に入会したのだった。

 

 今年の夏には既述の松本圭佑がついにプロデビューを飾った。店にも足を運んでくれたというから、龍ちゃんとしても応援しないわけにいかない。

 なお、龍ちゃんには辛さを売りにした「ファイヤーメン」というメニューがあるが(他メニューのファイヤーバージョンへの変更も可)、ボクシングになぞらえて辛さをフライ級、ライト級、ヘビー級と用意している。たまにミニマム級やクルーザー級を注文するボクシングファンもいるんだとか。

 

※敬称略